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自己評価導入へ~学術振興会特別研究員~ [科学と社会]

 独立行政法人日本学術振興会に、特別研究員という制度がある。通称、「学振」だ。博士後期課程の大学院生や、ポストドクター(ポスドク)と呼ばれる若手研究者に対し、研究奨励金(給料のようなもの)を支給するという制度である。経済的な負担を軽減して研究活動に専念させるとともに、優れた才能と意欲を持った学生の博士後期課程への進学を奨励するという、若手研究者の養成および確保を目的としてる。
 すべての分野を合わせて、年間1万2000人の申請者に対し、1600人(18年度募集では1400人)ほどが採用される。毎年、この時期に募集が始まるので、多くの大学院生が申請書書きに追われるのである。
 申請書には、「現在までの研究状況」「これからの研究計画」「研究業績」などを書くのだが、博士課程用の申請書に限り、今年から新たに加わったものがある。それが、「自己評価」の欄だ。先輩などの前例を参考にできないため、何を書けば良いのか分からず苦戦している人も多いだろう。
 この変化は、18年度から選考方法を改善したことによるものだ。しかし、「自己評価」の意図に関しての言及は見つからない。そこで、「自己評価」は何をしようとしているのか、自分の身近なところで、科学技術人材の養成という点に限ってだが、勝手に考えてみたいと思う。

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「余剰博士」の次は「余剰ポスドク」 [科学と社会]

今更感がただようが、こんな記事があった。

博士号は得たけれど「ポスドク」激増で就職難
 博士号を取得したものの、定職に就けない「ポストドクター」(ポスドク)が、2004年度に1万2500人に達したことが、文部科学省が初めて実施した実態調査で明らかになった。
 2003年度は約1万200人で、1年間で約2300人も増えている。
 年齢別では約8%が40歳以上で“高齢化”が進んでいる。大学助手など正規の就職先が見つからず、空席待ちが長引いていると見られる。さらに、社会保険の加入状況から推定すると、常勤研究者並みの待遇のポスドクは半数程度しかいないと見られ、経済的に苦しい状態も裏付けられた。 (以下略・読売新聞・5月2日より)

ニュースソースは分からないが、おそらく文科省科学技術・学術審議委員会の人材委員会(第32回)だろう。まだ議事録や配布資料は公開されていないので、詳しくは今後読んでから考えることにして、今回は、感想をつらつらと。

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東大で「科学コミュニケーション」の授業 [科学と社会]

東京大学で「科学コミュニケーション」の授業が開講されることが明らかになった。講義は、大学院理学系研究科物理学専攻の「21世紀COE特別講義VI 」。「科学コミュニケーション入門―理論と実践―」と題して、科学記事の執筆やプレゼンテーションの演習も交えるという。

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サイエンスカフェのシンポジウムに参加 [科学と社会]

▼STS Network Japanのシンポジウム「カフェ・シアンティフィーク―その現状と可能性―」@東大先端研 に参加した。名刺を作っていたりしたせいで、10分遅れで会場着。
▼今回一番面白かったのは、イギリスのカフェ・シアンティフィークの参加報告。なかには、客を呼び込むために科学カフェを始めたものまであると知ってびっくり。
▼今度、僕らが企画しているカフェ・サイエンスステーションについても5分ほど時間をもらって話させてもらった。へたっていたので、適当にこんなことを話した。

・ワンドリンク付き講演会ではつまらない
・一方向的な”アウトリーチ”ではない
・学生が話すので、質問の答えをはぐらかしたりしないし、よいコミュニケーションができるはず

・学生をスピーカーにすることによって、サイエンスカフェが将来の科学者を育てる場にもなるはず、しいては、未来のサイエンスを社会/地域が育むことにつながるのではないか
(サイエンスカフェの目指すべきところが、これだけだとは少しも思っていないのだが、誰も指摘しなかったのが不満だっただけ)

▼PUSだとか欠如モデルだとか、まあいろいろな話はあるが、僕の知る限りでは、いまだに「科学→社会」という一方向的な矢印しか見えない気がするのだ。サイエンスカフェで、科学者と市民が対話しましたよ、議論しましたよ・・・というのは、たしかに”双方向性”ということはできる。普通の講演会スタイルでは、質問に対して科学者が無難に答えるだけで、なんの面白みもない。その意味では、サイエンスカフェのスタイルは、議論を活発にし、交流を盛んにする”双方向性”のある仕組みとなっていることは間違いないだろう。
▼でもそれだけなのだろうか、と僕は思う。その場の双方向性というのは、あくまでも参加した科学者と市民との間の矢印である。広く科学と社会との関係を考えるのなら、「科学者コミュニティー」と「社会」の間の矢印をもっと意識すべきだろう。「社会→科学者コミュニティー」の方向のフィードバックが何もなければ、ただの科学技術理解増進活動の一形態に過ぎないと思う。「社会→科学者コミュニティー」のメリットが見出せれば、サイエンスカフェはサイエンスコミュニケーションのよいモデルになりうるだろうし、なにより科学者も乗り気になるんじゃないだろうか。

▼サイエンスカフェをどう評価するかという議論も出たが、目指すところがいまいちはっきりしないので、なんともいえないと思った。カフェに参加する「科学者」と「市民」というアクターだけで済ますなら、はっきり言って「顧客満足度」がすべてだろう。毛利さんを生で見た、僕も宇宙飛行士になりたいな、それでもOK。牛肉ってどうなのって、専門家と話ができた、日ごろの疑問も質問できた、それもOK。科学者にとっても、象牙の塔の中では気づかないような意見や視点に触れることができ、今後の研究に生かせるかも、それもOK。でんじろう先生が静電気ビリッ!でもOKだ。双方向性や参加型であること、などは満足度を上げるための工夫になる。

▼科学と社会との関係を考える上で、サイエンスカフェがどのような役割を果たしているか。これはもっと長期的に見ないと分かんないんじゃないかな。

▼シンポジウムのあとは、下北沢で懇親会。名前だけはどこかでお見かけした先生方と、話すことができて楽しかった。でも、STSってまだなんだかよく分からないのですよ。

*感想やら意見やら、ごちゃまぜですが、サイエンスカフェの話は面白いので、時々書くことにします。


サイエンスカフェ in 丸ビル [科学と社会]

 22日(土)に、東京・丸ビルで「サイエンスカフェ」が開かれたので見に行ってきた。
(当日のドタバタ日記は別エントリーを参照)

 開催場所は、丸ビル1階の「カフェ・イーズ」。商業ビルの1階ということで、人通りはそれなりに多い。カフェの半分がイベントスペースになっており、サイエンスカフェはそこで開催されていた。諸事情により企画スペースには入れなかったが、通常営業している部分でサイエンスカフェに一番近いところに陣取って様子をうかがっていた。

 第一印象は、カタい! 観客はみんなお行儀よく前を向いちゃって、講演者と毛利さんは、いわゆる講演会スタイル。ドリンクつきの講演会になってしまっていた。それでも、観客にあらかじめアンケートをとっていたり、質問を投げかけたりはしていたのは、少し評価できる。だが、しょせん講演会。観客と講演者との間には、見えない敷居が存在していた。しかも、ドリンクのお代わりができないし・・・。

 丸ビルにわざわざお勉強しに来ている人はいいとして、服を買いにきたり、ランチしにきたりした人が、ふらーっとサイエンスカフェに寄ってみるなんていう雰囲気とは程遠い。整理券を配布して、定員を締め切って、残りの人はもう入れない。ガラス越しに見ようとすると、「もう入れないんですよ。次は○時からです。整理券を配布しますので・・・」と言われて、追い払われてしまう。せっかく丸ビルで開催しているのに、ここでも科学と社会との間に壁を作ってしまう。某全国紙の某記者と感想を言いあってたときに思わず出てきたのが、「どうも引きこもっちゃっているよね」と。

 今回面白かったのは、隣の通常営業のカフェスペース。客はサイエンスカフェなんてなにも興味ない人たちだ。それでも、普段おしゃれな映像を流しているスクリーンには、講演のスライドを流していた。毛利さんの名前が紹介されると、「宇宙飛行士?」とか「何やってるんだろう?」と少し興味を示す客も。僕も友人と、講演の内容について「これってどういうこと?」とか話をしながら、聞くことができてた。こういう風に、雑談しつつ、ときどきサイエンスを話のつまみにする。それがサイエンスカフェの魅力ではないだろうか。
 講演が終わると毛利さんと講演者は、さっさと退場。これも興ざめです。終わった後に、話をしあうとか。そのくらいのことはできないのだろうか。

 かなり生意気で辛口のことを書き連ねてきたが(僕が書いたようなことは主催者側も百も承知のはずです)、第一回目の実験的な企画だし、次回に期待したいと思う。

さて、じゃあどうすればよいか。
理想のサイエンスカフェはないのか。
ないなら、オイラが実施するとです! 
パチパチパチパチ。
↑眞鍋かをり風
 
その名も、「カフェサイエンスステーション」。
大学の学園祭だけの単発企画ですが、
”ドリンクつき講演会”にはいたしません!

サイエンスをおやつにお茶しましょう。

詳細は、ホームページで近日公開!!


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光のリレーに参加した [科学と社会]

「光のリレー」に参加した。
研究室でこの話をしたら、思いのほかみんな協力してくれた。最後の砦は助教授さんだったのだが適当に説明して、午後8時17分にライトオフ!
真っ暗の研究室&実験室って、なかなか面白いものです。実験装置のライトだけが光っていたり。
それにしても、「光のリレー」について知っている人が少ない。まして「世界物理年」も知られていない。アピールが足りませんね。

「光のリレー」についてあまり報道されていないので、いろいろと調べていたら次のような記事があった。

世界をつないだ「光のリレー」:世界物理年イベント

 物理学者・アインシュタインの没後50周年の命日である18日、光の信号を世界一周させるイベントが開催された。相対性理論など現代物理学の基礎となった3論文を発表した”奇跡の年”100年を記念する世界物理年の行事の一環だ。物理学者らの呼びかけにより、全世界を「光」がかけめぐった。

 「光のリレー」は、アインシュタインが晩年をすごした米プリンストンを出発。ハンド・ライトや車のライトを次々と点灯させ、西部まで「光」を到達させた。そこから、世界各地の研究機関など経由し、西回りに世界を一周した。各国では「光」の到達時間に合わせて、さまざまなイベントが催された。
 日本には、19日午後8時(日本時間)に光が到達。日本に滞在する9時までの間、4776人の参加者が、自宅や職場の電灯を東から西へ2分ずつ消灯した。光と闇のウェーブが日本を横断した。
 台湾では、室内の電灯を使ってビルの側面に、質量とエネルギーの関係式「E=mc2」を映し出した。ビルは、世界一の高さを誇る「TAIPEI 101」(高さ508メートル)。光が台湾に届くと同時に点灯され、周囲は歓声に包まれた。
 韓国では、物理学者や登山家らが40ヶ所の山に登り、次々にハンド・ライトを点灯して、光を伝達した。公式ルートではないが、領土問題でゆれる竹島にも光をリレー。竹島に光が届くと、周囲を取り囲んだイカ釣り漁船が一斉に火をともした。

 東京のT大で光のリレーに参加した、けけみさんは「自分の送った光が全世界を駆け巡っていると思うとわくわくする。2分間は短かったが、世界を変えたアインシュタインの業績に思いをはせた」と話した。【けけみ】

毎Θ新聞 2005年4月20日 16時00分

以上の情報には未確認情報も含まれています。正確な報告は、公式サイト
http://www.ils.uec.ac.jp/WP2005/wplight.htm
を見てください。
世界物理年委員会のウェブページにはより詳しい情報があるはずです。
http://www.wyp2005.at/glob1-light.htm

もしくは各報道機関の報道をご覧ください。

日本のイベント:毎日新聞・読売新聞
http://www.mainichi-msn.co.jp/kagaku/science/news/20050416dde041040067000c.html
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20050419ic28.htm
台湾のイベント:毎日新聞
http://www.mainichi-msn.co.jp/kagaku/science/news/20050420ddm041040021000c.html
韓国のイベント:朝鮮日報
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/04/19/20050419000054.html
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/03/24/20050324000048.html

科学イベントが政治的に使われるのには反対ですが、もう一つ気になることがあります。

24日、慶尚(キョンサン)北道と浦項(ポハン)市は世界中を光でつなげる「世界光の祭り」で韓半島に届く「アインシュタインの光」の通過ルートに独島を含ませることにしたと明らかにした。
これは自治体がイベントに協力しているということなのでしょうか。
台湾のビルの点灯もそうですが、研究機関だけで閉じていないで、もっと一般の人が加われるようにしなくちゃね。
研究室で明かりを消して、ウェブで衛星からの画像を見ていましたが、 当然、光のウェーブは見えませんね・・・。 それよりも日本海がとっても明るいことにびっくり。 漁船の光でしょうか。 冗談で「竹島?」と言っていましたが、 あながち間違ってもいないかもしれませんね。 ともあれ、今年は世界物理年。まだまだイベント目白押しです。


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光のリレー ~カムチャッカの若者へ~ [科学と社会]

今年は世界物理年。
そして、今日はアインシュタインの命日だ。

これを記念して、プリンストンを起点に
光を世界一周させるというイベントがある。
http://www.mainichi-msn.co.jp/kagaku/science/news/20050416dde041040067000c.html

これは大学・研究機関が参加するものだが、
世界物理年委員会は一般の人たちにも参加を呼びかけている。
日本に「光」が届く19日午後8時から9時の間、
経度に応じて2分間だけ電気を消そうというのだ。

うまくいけば、宇宙から光と闇の帯が
ウェーブのように伝わっていくのが見えるはず。
衛星からの画像はwebページで見ることができる。

申し込みはこちらから。
http://www.ils.uec.ac.jp/WP2005/wplight.htm

カムチャッカの若者も、
メキシコの娘も、
ニューヨークの少女も、
ローマの少年も、
みんなで光をリレーするなんて、
なんて素敵なことだろう。

 ぼくらは”光”をリレーするのだ
 経度から経度へと
 そうしていわば交替で地球を守る

 耳をすますと
 どこか遠く電灯のスイッチの音が聞こえてくる
 それはあなたの送った”光”を
 誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ

なんてね。

光が地球を伝わっていく様子を想像するだけでも楽しくなる。
谷川俊太郎にはなれそうもないが、
詩を作りたくなってくる。

科学だって素敵だよ。


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青色LED8億和解は夢を与えたのか [科学と社会]

▼青色発光ダイオード(LED)を発明した中村修二教授が、日亜化学を相手取って発明の対価を求めて起こした訴訟で、和解が成立したとのニュースが報道された。日亜化学が約8億円を中村教授に支払うことで、一応の決着を見た。
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20050111k0000e040046000c.html
▼発明の対価をどう評価するかが裁判の中心的な争点であったと思うが、社会に対してはむしろ科学研究者・技術者の待遇の問題が提起された出来事であったように思う。優れた研究者に対しては松井やイチローなみの報酬をなどと、しばしば野球を引き合いに出して語られることもあった。
▼今回の和解のニュースを受けたコメントの中には、「中村教授は理系の星」「科学に対する夢を与えた」などとして、科学者を目指す子供たちが増えるのではないかなどと語っているものもあった(*)。中村教授も以前の200億円の判決の際に、子供たちが科学者・技術者を目指したいと思うだろうというような話をしていた記憶がある。毎日新聞科学環境部記者の元村有希子氏は理系白書ブログ(http://spaces.msn.com/members/rikei/)「中村現象」の中で、いくつかの感想とともに、
・子供たちはこれで「企業の研究者になったら8億はもらえる」と思うのか、それとも「たった8億円か、ケッ」と思うのか。理科離れに関係があるのかないのか
と述べている。
▼しかし、科学研究者が高額の報酬を得るからといって、子供たちが科学者を目指すようになるのかは、非常に疑問が残る。野球とのアナロジーで考えるならば、子供たちは年俸が高いから野球選手になりたいと思うものなのだろうか。野球選手を夢に描く最初の動機は、むしろ野球が好きで彼らのようにプレーしたいからではないだろうか。しかし、現実的に職業として野球選手を目指すには、それなりのコスト-金銭だけではなく、時間や努力、ほかのものの犠牲-を払わなければならなくなる。もちろん、それでも野球選手になれないというリスクもある。このコストとリスクとを、野球選手になったときのベネフィット-金銭的な報酬や、名声、達成感、満足感、幸せかなども含めて-とを比較して、夢を追うか、あきらめるかが決まってくるのだろう。
▼翻って科学研究者について考えてみると、大学や大学院へ進学すると当然だが授業料などの費用がかさむ。当然、時間もかかる。犠牲にすることも多いだろう。それだけでなく、”余剰博士”やポストポスドク問題が象徴するように、たとえ博士号を取得したとしても(取得してしまったゆえに??)リスクもかなり大きい。支払うコストとリスクに対して、科学研究者となったときに得られるベネフィットは、果たして見合うものなのだろうか。人によって判断基準は違うだろうが、両者を比較して科学研究者になるのを諦めるというケースも存在するはずである(**)。
▼今回の訴訟で、科学研究者になるベネフィットが少しでも増えるのあれば、途中で諦めずに科学研究者を目指し続ける人が増えるかもしれない。その意味で、中村教授は科学研究者という夢を持ち続けることも損ではないということを示したと思う。子供たちに夢を与えたのではなく、夢をつぶさなかっただけだろう。

(*)テレビ・ワイドショーなどでのコメントであり、番組名や発言者は記憶していない。
(**)別に、科学研究者の道を諦めるのを否定するわけではない。それぞれが満足するところに落ち着けばよいだろう。ノンアカデミック・キャリア、ノンリサーチ・キャリアについえは、考えるところがあるので、そのうち書くはず。


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天文トイレットペーパー [科学と社会]

▼知人が作った天文トイレットペーパーが新聞に載っていた。生活に身近なところで、科学が転がっているという試みは面白い。ただ、科学グッズや科学をデザインした商品が、科学館など特定のところでしか手に入らないののが残念だ。普通の雑貨店に流通させることはできないのだろうか?

http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20050108k0000e040025000c.html

▼「トレペ」ってトレーシングペーパーかと思いました。トイレットペーパーもトレペっていうんですかね?


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