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「余剰博士」の次は「余剰ポスドク」 [科学と社会]

今更感がただようが、こんな記事があった。

博士号は得たけれど「ポスドク」激増で就職難
 博士号を取得したものの、定職に就けない「ポストドクター」(ポスドク)が、2004年度に1万2500人に達したことが、文部科学省が初めて実施した実態調査で明らかになった。
 2003年度は約1万200人で、1年間で約2300人も増えている。
 年齢別では約8%が40歳以上で“高齢化”が進んでいる。大学助手など正規の就職先が見つからず、空席待ちが長引いていると見られる。さらに、社会保険の加入状況から推定すると、常勤研究者並みの待遇のポスドクは半数程度しかいないと見られ、経済的に苦しい状態も裏付けられた。 (以下略・読売新聞・5月2日より)

ニュースソースは分からないが、おそらく文科省科学技術・学術審議委員会の人材委員会(第32回)だろう。まだ議事録や配布資料は公開されていないので、詳しくは今後読んでから考えることにして、今回は、感想をつらつらと。


今回の調査は、去年7月の次の記事を受けたものである。

博士号取っても定職なし、文科省が「余剰博士」対策へ
 博士号を取得したのに定職に就けない「余剰博士」が増え続けているため、文部科学省は来年度から、博士号取得者の進路を詳しく調べて問題点を分析、博士の活躍の場を広げる方策を検討することを決めた。
 まずは、定職を得る前に、国から生活費を受けながら大学や公的機関に籍を置いて研究を続ける博士号取得者「ポストドクター」について、期間終了後の進路などの実態把握に乗り出す。
 文科省の統計によると、1990年代に同省が大学院を拡充して定員を増やしたため、ここ数年で博士が急増。2003年3月の博士課程修了者は約1万4500人で、最近10年間で2倍に増えている。このうち約1万400人は自然科学系の博士。
 一方で、大学の教員や公的機関の研究者といった、多くの博士が就職を希望する職種の採用人数はそれほど増えていない。民間企業も「博士は社会経験が乏しく、視野も狭いので使いにくい」などの理由で博士の採用を避ける傾向がある。
 このため、2003年の博士の就職率は54・4%と、最近10年間で約10ポイント低下。自然科学系の就職率は60・9%にとどまる。
 本来、高度な専門知識を生かして社会のために活躍すべき博士が職にすら就けないという“博士余り”現象が、年々深刻になっている。(以下略・読売新聞)

 つまり、大学院重点化やら何やらで、博士課程の学生を増やしたら、なんと半数近くの博士は就職できていないという事実(平成14年度で、14512人中就職者は7980人となっている)を、ようやく認識したのが去年7月。それで、今回ポスドクの実態調査をしてみたら、空席待ち状態が明らかになったというわけ。

 博士が余っているといって、ポスドクを増やしたが、結局は問題を先送りしただけなんですよ、ということを言っているだけだ。何を今更というか、こういう調査を「初めて実施した」という文部科学省にもあきれてしまう。

 さて、この博士課程の学生にとっては非常にショッキングな「余剰博士」「余剰ポスドク」問題だが、そのどこが問題なのだろうか。当然のことながら、個人個人の問題と、社会の中で科学技術人材をどう養成していくかという問題は別にして考えなければならない。

 まず、個人の問題だが、自分の将来を見据えて選んだ道ならば何の問題もないはずだ。スポーツ選手だって、芸術家だって、芸能人だって、努力して努力して努力したが、途中で夢破れる人も多い。それを覚悟の上で、先を目指すのだ。研究者だって同じだろう。博士号を取得したからのほほんと研究者になれるわけでもなく、そのあとも狭き門が続いているという覚悟さえあれば問題ない。
 いきなり乱暴な話をしてしまったが、ここで問題となるのは、はたして狭き門だという認識があるのかという点と、経済的なリスクである。
 前者の問題は深刻である。大学の研究者の中には余剰博士問題なんて無縁だった世代も多い。「2年くらいポスドクやってればすぐに職は見つかるよ」なんて気楽なことを言っている人もいる。そういう昔話だけを参考にして将来設計をしてしまうと、あとで事実を知って途方にくれてしまう。(研究労働力として、あるいは大学院設置基準のため学生を確保したいという事情は、今回は割愛。)
 だが、責任を大学教員や大学に押し付けるつもりはまったくない。「余剰博士問題について知らされなかった」というのは甘えだからだ。就職活動をする人なら、(希望がかなうかは別にして)仕事内容だけでなう給料や福利厚生、企業の将来性など、いろいろな面を比較するはずだ。博士についても同様に調べて判断することが必要だろう。何も、文科省の報告書は読まなくてよい。今回の読売新聞の記事を読むなり、毎日新聞の理系白書でもいいし、日経新聞でもいいし。「博士の生き方」というすぐれたサイトもある。
 さて、もう一つ。経済的な問題である。博士課程まで進むにはお金がかかる。その自己投資に比べて、定職に就ける率が低いというのはリスクが大きすぎるという問題だ。疲れてきたので、乱暴な話をすると、スポーツ選手だって、芸術家だって、お金はかかる。なかったらあきらめる。きわめて優秀なら、それでもどうにかなるはずだ・・・・。確かにそうだろうけれども、そう切り捨ててしまってのいいのだろうか。
 今まで基本的に自己責任論を貫いてきた。だがそこには二つ無視した点がある。一つは、博士が”正当に”評価されているのかという点。もう一つは、そこまでして養成した博士を切り捨ててしまっていいのかという社会的な視点である。
 博士が”正当に”評価されていれば、アカデミックポストが少なくても、民間なりなんなりと就職先は見つかるはずだ。逆に、博士課程がアカポスでしかやっていけないような人材しか養成していないのであれば、それはそうと宣言すべきであろう。
 社会にとっても、それなりにお金をかけて育てた博士を、有効活用しないのはもったいない。

 というところでスタミナ切れ。
 結局、博士課程でどんな人を養成したいのかをはっきり打ち出して、それを了承した上で進学するのなら、いくら人が余ろうが問題はないと思っている。余るのが無駄なら定員を減らせばいいだけだと僕は思う。

 残した課題は、では社会としてどういう科学技術人材を養成したいのかという問題だ。研究者はそんなにいらないの? じゃあ博士課程に進んだ人は研究者以外に、どんな職業に就けというの?
 人材委員会の提言にその答えもうかがえるし、僕も賛成したり反対したりする部分があるが、それはいつの日か書くことにしよう。

 研究者にならない博士は必要か? ポスドク・研究者から転職というのはあり?

尻切れトンボになったので、フラストレーションがたまった方は、どうぞ「博士の生き方」へ。

・・・と人のサイトへ案内してみたり。


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