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青色LED8億和解は夢を与えたのか [科学と社会]

▼青色発光ダイオード(LED)を発明した中村修二教授が、日亜化学を相手取って発明の対価を求めて起こした訴訟で、和解が成立したとのニュースが報道された。日亜化学が約8億円を中村教授に支払うことで、一応の決着を見た。
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20050111k0000e040046000c.html
▼発明の対価をどう評価するかが裁判の中心的な争点であったと思うが、社会に対してはむしろ科学研究者・技術者の待遇の問題が提起された出来事であったように思う。優れた研究者に対しては松井やイチローなみの報酬をなどと、しばしば野球を引き合いに出して語られることもあった。
▼今回の和解のニュースを受けたコメントの中には、「中村教授は理系の星」「科学に対する夢を与えた」などとして、科学者を目指す子供たちが増えるのではないかなどと語っているものもあった(*)。中村教授も以前の200億円の判決の際に、子供たちが科学者・技術者を目指したいと思うだろうというような話をしていた記憶がある。毎日新聞科学環境部記者の元村有希子氏は理系白書ブログ(http://spaces.msn.com/members/rikei/)「中村現象」の中で、いくつかの感想とともに、
・子供たちはこれで「企業の研究者になったら8億はもらえる」と思うのか、それとも「たった8億円か、ケッ」と思うのか。理科離れに関係があるのかないのか
と述べている。
▼しかし、科学研究者が高額の報酬を得るからといって、子供たちが科学者を目指すようになるのかは、非常に疑問が残る。野球とのアナロジーで考えるならば、子供たちは年俸が高いから野球選手になりたいと思うものなのだろうか。野球選手を夢に描く最初の動機は、むしろ野球が好きで彼らのようにプレーしたいからではないだろうか。しかし、現実的に職業として野球選手を目指すには、それなりのコスト-金銭だけではなく、時間や努力、ほかのものの犠牲-を払わなければならなくなる。もちろん、それでも野球選手になれないというリスクもある。このコストとリスクとを、野球選手になったときのベネフィット-金銭的な報酬や、名声、達成感、満足感、幸せかなども含めて-とを比較して、夢を追うか、あきらめるかが決まってくるのだろう。
▼翻って科学研究者について考えてみると、大学や大学院へ進学すると当然だが授業料などの費用がかさむ。当然、時間もかかる。犠牲にすることも多いだろう。それだけでなく、”余剰博士”やポストポスドク問題が象徴するように、たとえ博士号を取得したとしても(取得してしまったゆえに??)リスクもかなり大きい。支払うコストとリスクに対して、科学研究者となったときに得られるベネフィットは、果たして見合うものなのだろうか。人によって判断基準は違うだろうが、両者を比較して科学研究者になるのを諦めるというケースも存在するはずである(**)。
▼今回の訴訟で、科学研究者になるベネフィットが少しでも増えるのあれば、途中で諦めずに科学研究者を目指し続ける人が増えるかもしれない。その意味で、中村教授は科学研究者という夢を持ち続けることも損ではないということを示したと思う。子供たちに夢を与えたのではなく、夢をつぶさなかっただけだろう。

(*)テレビ・ワイドショーなどでのコメントであり、番組名や発言者は記憶していない。
(**)別に、科学研究者の道を諦めるのを否定するわけではない。それぞれが満足するところに落ち着けばよいだろう。ノンアカデミック・キャリア、ノンリサーチ・キャリアについえは、考えるところがあるので、そのうち書くはず。


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